第四話

「勝てる戦でした。どうして引き上げたのです?」

そう彼女が尋ねると、その大男は目を瞑ったまま答えた。

「場に留まるは愚策」

「ほう」

メディカルルームで無数のケーブルに繋がれているイフリットは、けだるそうに片目だけを開いた。

「かの地の攻略よりも、手土産を届けるのが最優先だろう」

それが私が呼ばれた理由だ。貴様は指揮官のくせに、今更何を聞くというのか? と言いたげに、彼はぎろりと上官を睨みつける。

「そうですか」

作戦を終えたアルド・シャウラは、合流ポイントを目指し一路針路を東に取っていた。

こちらの部隊を率いる指揮官でもあり、エースでもあるジーナは、預かりものの部下の調整の様子を見に来ていた。

「戦略目的は達成した。ゼラとの合流までは調整に努める」

そう言い残すと、戦闘中はあれほど騒がしかった男がぴくりとも動かなくなる。

「……まあ、いいでしょう。しばらくは休みなさい。サプタ=イフリット=マンガラ」

エクストラシリーズ、ナンバー7。

ソーマの元で最終調整が行われているEシリーズと同じ特殊実験プログラム「.EXE」を用いながらも、マンガラの手によって全くの別物として生み出された狂戦士。

あのゼラが唯一、素直に実力を認めたという、規格外の男。

ボーダーとして、誇り高い戦士として、壮絶な最期を迎えたはずの男。

「.EXE」の適用により息を吹き返し、冥界より舞い戻った男。

そしてなにより、エース強化機兵――通称「Iシリーズ」に、あと一歩のところでなれなかった、IFの男。

しかし、彼女は気に入らなかった。

なぜ、マンガラはこのような不完全な実験体を作戦に投入したのか。

今回の作戦はエイジェンの幹部会「ナヴァ・グラハ」直々の指令であった。

真の目的は極地観測施設の完全な制圧ではなく、あくまで別のところにある。

四条重工が極秘裏に研究をすすめ、施設全体がEUSTに移管された後も実用化に向けた開発が続いていた「ある技術」。

そして、アルド・シャウラによる拠点の侵攻作戦中の裏で、イフリットは課された特殊任務を易々と達成させてみせた。

それはいい。たしかに、この男のポテンシャルは非常に高く、使い道はある。

だが同時に、作戦遂行には不確定要素があってはならない。

一般の強化機兵と比較しても圧倒的に短い、限られた稼働時間。

幾度も完全洗脳処理がなされているはずなのに、強い自我は消えずに残った上、幹部会や指揮官への忠誠は薄く、そして執着とも言えるゼラ個人への忠義。

こんな致命的ともいえる欠陥だらけの兵士は、少なくとも戦闘中に幻視する程度で反乱の心配が全くないアドリシュタよりもよっぽど危険な因子であるとジーナは危惧していた。それなのに、なぜドクターは。

……いや、ドクターへの疑問はあってはならない。

ドクターの命令は絶対であり、本来は異論を持つことすら許されない。ジーナも含め、エイジェンの全ての構成員はそのように調整されている。

それなのに、ジーナが自らの精神のざわつきを感じてしまったのは、わずかに芽生えたマンガラへの不信感だけではない。

もしかしたら、戦いの中でこの男の本質――己の技量をもってブラストの優れた性能を引き出すもの――を目の当たりにしてしまったからかもしれない。「Iシリーズ」の成りそこないであっても、この男が持つそれは、世間一般では「エース」と呼ばれる者の素質であることを、ジーナはなぜかよく知っていた。

「……私も、調整が必要なようですね」

そうだ。今はどうでもいい感情に煩わされている場合ではない。ナヴァ・グラハのため、エイジェンのため、自らがやるべきことをやるだけだ。

動かなくなった魔人を残し、ジーナはその部屋を後にした。次の作戦は、すでに始まっている。


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