
「おお! 懐かしいな」
イフリットが大きな木の板を掲げている。埃にまみれたそれは、文字が書かれていたような形跡があった。
「懐かしい?」
「パブだよ。よくここで飲み明かしたんだ」
ゼラとイフリットはベネヴィスでの作戦を終えたところだった。ゼラはさっさと帰りたい気分だったが、イフリットがそれを許さなかった。半ば無理やりという形でベネヴィス近辺の廃墟まで連れてこられたのだ。
「とすると……おっ! ここだ、ここ!」
かつては多くの人々で賑わっていたであろう、色鮮やかな壁の建物。イフリットはずかずかと中に入っていく。
ゼラもそれに続くことにした。置いて帰ってもよかったが、イフリットの言う「懐かしい」がなんなのか、少し興味があった。
静かな空間にドアベルが響く。中は意外にも綺麗で、カウンターには酒の瓶が並んだままだった。
「戦闘が終わったら、敵味方関係なくボーダー同士で親睦を深めあうんだ」
そう言いながら酒瓶を漁っている。
「さっきまで睨み合ってた相手と酒を酌み交わす。いいもんだぞ、傭兵ってのは」
目ぼしいものを見つけたらしい。ひとつ手にとってこちらへやってくる。
「……記憶は消去したはずだが?」
「いいや、ちゃんと忘れているぞ! はっはっは!」
エイジェンのドクターたちの手により、この男の記憶は確かに消去されたはずだった。
しかしこの男は「自我」が残ったままだし、時々「記憶」も残っているような言動をみせる。
「ちっ……」
だがそんなことはどうでもよかった。イフリットは気に食わない男ではあるが、生意気な女ども——ジーナとアドリシュタよりよほど信頼に足る人材だ。なにより腕が立つ。かつてゼラ自身に致命的な一撃を与えたほどの……。
ふとゼラは、この男と出会ったときのことを思い出した。あの極地戦のことだ——。
エイジェンは極秘作戦を遂行していた。並みのニュード耐性者では足も踏み入れられないような場所だ。そこにエイジェン以外の者が現れるなど、ありえないはずだった。
突然の襲撃者たちにゼラは動揺した。だがそれはほんの一瞬で、すぐさま圧倒的な戦力で襲撃者たちを駆逐。愚かな襲撃者たちは全滅したかのように思えた。
作戦に戻ろうとしたとき、ゼラの体に衝撃が走った。エマージェンシー。ゼラの搭乗機が警報を発する。ブースターを作動させ、旋回。武器を構えつつ動体反応を探知。視界の端で動くものがある。急襲特化型の比較的細身の機体。そのアスラはこちらに銃口を向けながら、瓦礫の山の中に倒れ伏した——。
エイジェンの攻撃からただ一機生き残り、満身創痍でなお攻撃を仕掛けてきたアスラ。搭乗していたのは「フリット」という男だった。
「ほう、そんなことがあったのか」
イフリットは他人事のように笑う。今の「イフリット」にとっては、確かに他人事なのかもしれない。
「覚えていないのか?」
「はは、昔のことだからな!」
からからと笑っている。何がそんなに可笑しいのか。
「ちっ……!」
やはりこの男はイライラする。信頼に足る人材だと思ったのを撤回したくなった。ジーナやアドリシュタの方がましだと思いかけたが、あいつらの顔を思い浮かべた瞬間、その思いは消え去った。
「ま、一杯飲み交わそうぜ。これは美味いぞ、きっと」
「拾った酒など飲むか。断る!」
数年前、ニュード硬化症を発症し余命わずかとなったボーダーたちが招集された。彼らのミッションは「エイオース内部の調査」。エイオースはかの爆発事故によって高濃度のニュードに汚染されており、ミッションへの参加はすなわち死を意味していた。
その中に「フリット」という男がいた。彼は送りこまれたエイオースで、「アルタード・ニュード・ドライブ」の開発を進めていたエイジェンとの戦闘に巻き込まれる。
生死の境をさまよった彼は、ゼラの手により「イフリット」として新たな生を受けた。
「つれないなぁ、ゼラ坊は」
この男に、あのときの記憶は残っているのだろうか。
「……戻るぞ」
「はっ」
そんなことは、ゼラにとっては些末な問題だった。


